
「さっき伝えたことを、もう忘れている」
「説明を聞いていたのに、途中で手が止まってしまう」
「わかっているはずなのに、一人では進められない」
子どもと向き合う中で、こうした姿に戸惑うことがあります。繰り返し説明しても変わらないと、保護者も疲れ、「ちゃんと聞いて」と言いたくなるでしょう。
しかし、子どもは聞いていなかったのではなく、聞いた情報を頭の中に保ちきれず、困っているのかもしれません。
小金井市のフリースクール・発達支援「Sprouts(スプラウツ)」では、子どもの行動の背景を理解し、その子に合った関わりを考えることを大切にしたいと思っています。今回は、その手がかりとなる「ワーキングメモリー」について、研究を交えてお伝えします。
■ ワーキングメモリーは、頭の中の作業机
ワーキングメモリーとは、必要な情報を一時的に覚えておき、その情報を使って考えたり、行動したりする働きです。
頭の中に「本棚」と「作業机」があると想像してください。本棚には、覚えた言葉や知識、経験が蓄えられています。これは長期記憶にたとえられます。
作業机には、いま必要な情報を広げます。本棚から取り出した知識と、目の前の情報を組み合わせて考える。その働きを支えるのが、ワーキングメモリーです。
例えば「26+17」を暗算するとき、まず「26+10=36」と考えます。そして36を頭に残しながら、残りの7を足します。この「覚えながら考える」ところで使われています。
Cowanの総説でも、ワーキングメモリーは理解や推論、問題解決を支える仕組みとして説明されています[1]。
■ 「知っているのにできない」のは、なぜ?
「上着を片づけて、手を洗って、水筒を出してね」
この指示を実行するには、三つの行動を覚え、一つ終えるたびに次を思い出す必要があります。上着を片づけている間に、残りの指示が抜ければ、その場で止まってしまいます。
勉強でも同じです。文章題では数字だけでなく、「何と何を比べるのか」「何を求めるのか」を保ちながら考えます。計算はできても、情報を同時に扱うところで難しくなることがあります。
ただし、こうした様子だけでワーキングメモリーの弱さを判断することはできません。言葉の理解、注意、疲れ、学習経験なども関係します。
「やる気がない」と決める前に、どこまでできて、どこで止まったのかを確かめることが大切です。
■ 言葉・形・注意が協力する仕組み
代表的な理論では、ワーキングメモリーには、言葉や音を保つ働き、形や位置を保つ働き、注意を調整する働きなどがあると考えます[2]。
そのため、口頭の説明では難しくても、写真や見本を見ると進められる子がいます。反対に、図だけではわかりにくく、言葉で順番に説明すると理解できる子もいます。
前頭前野も重要な役割を担いますが、そこだけが単独で働くわけではなく、複数の脳領域の連携に支えられています。
「この練習で前頭前野を鍛えれば解決する」と考えるより、子どもが情報を扱いやすい伝え方を探すことが、日々の支援につながります。
■ 年齢とともに伸びるのでしょうか
一般的に、ワーキングメモリーの課題成績は、成長とともに向上します。Gathercoleらの4〜15歳を対象とした研究でも、学齢期から思春期にかけての発達が示されています[3]。
ただし、「毎年何%伸びる」という共通の数字はありません。数字を覚える課題と、位置を覚える課題では測る側面が違い、個人差もあるためです。
成績の向上には、覚えられる量だけでなく、注意の向け方や知識、情報をまとめる方法の発達も関わります[1]。
例えば、ばらばらの文字も、知っている言葉なら一まとまりとして扱いやすくなります。
年齢別の平均は、一人の子どもの将来を決める数字ではありません。「もう何歳なのに」と考えるより、その子がいま取り組めるところから始めたいと思います。
■ 訓練すれば、学力も上がるのでしょうか
記憶の練習によって、練習した課題や似た課題が上達することはあります。しかし、その効果が読解力や算数などへ広く及ぶとは限りません。
Melby-Lervågらの2016年のメタ分析や、SalaとGobetの2020年のメタ分析では、記憶課題での改善に対して、知能や学業技能への広い波及を裏づける証拠は乏しいことが報告されています[4・5]。
これは「子どもは伸びない」という意味ではありません。「記憶ゲームの上達」と「生活や学習の改善」を分けて確かめる必要がある、ということです。
また、定型発達の子どもを対象とした結果を、発達の状況が異なる一人ひとりに、そのまま当てはめることもできません。
支援では、実際に困っている場面と、身につけたい技能を明確にすることが大切です。
■ 家庭と教室でできる四つの工夫
ここからは、研究を踏まえた実践案です。容量そのものを必ず増やす方法ではなく、情報を扱いやすくする工夫としてご紹介します。
① 指示を短く、一つずつ伝える
「ノートを出そう」。できたら「日付を書こう」。一度に多く伝えず、現在の一歩を明確にします。慣れたら二つの手順をまとめるなど、本人の様子に合わせます。
② 手順を見える形にする
準備する物を写真で示す、終わった項目に印をつける、計算の途中式を残す。これにより、情報を頭の中だけに置き続ける負担を減らせます。
「見ながらできる」ことも大切な前進です。道具を使って自分で進める力を育てていきます。
③ 伸ばしたい技能を、小さく練習する
読解なら短い文章で「誰が何をしたか」を確かめる。買い物なら少ない品物のリストを見ながら選ぶ。
目標に近い技能を直接練習する方向は、訓練研究からも示唆されています[4]。
工作やレゴが好きなら、見本を確認し、一つずつ組み立てる中で、手順を確かめる方法を練習できます。
④ 安心して取り組める状態を整える
Diamondの総説では、ストレスや睡眠不足などが、ワーキングメモリーを含む実行機能を損ないうると指摘されています[6]。
疲れている日に課題を増やす前に、休息や負担の調整を考える。「わからない」「もう一度教えて」と言える関係も大切です。
不登校とワーキングメモリーの弱さを、直接結びつけることはできません。背景を一つに決めず、その子の状態を理解することから始めます。
■ 「できた」を見る物差しを増やす
メモを見て、自分から準備できた。
わからなくなったとき、助けを求められた。
一つの作業を終え、次の手順を確認できた。
これらは、ワーキングメモリーの容量が増えた証明とは限りません。それでも、暮らしや学びを支える大切な成長です。
Sproutsでは、安心できる関係を土台に、基礎的な学びや、自分の気持ちを伝える経験を重ねながら、その子に合う次の一歩を考えていきたいと思います。
「何度言ったらわかるの?」と感じたら、少し立ち止まる。
「一度に伝えすぎていなかったかな」
「何を見える形にすれば、進めるだろう」
子どもの可能性を、今日覚えられた量だけで決めない。その子に合う伝え方と学び方を、一緒に探していくことが、支援の出発点です。
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参考文献
※本文は論文内容の要約です。支援例は教育上の提案であり、各論文でそのまま検証されたプログラムではありません。
[1]Cowan(2014)ワーキングメモリーと認知発達・学習・教育
論文
[2]Baddeley(2012)ワーキングメモリーの理論とモデル
論文
[3]Gathercoleほか(2004)4〜15歳のワーキングメモリーの構造
論文
[4]Melby-Lervågほか(2016)ワーキングメモリー訓練の効果に関するメタ分析
論文
[5]Sala & Gobet(2020)定型発達児のワーキングメモリー訓練に関するメタ分析
論文
[6]Diamond(2013)実行機能に関する総説
論文
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