自在能力開発研究所

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タッカー

第2次世界大戦終結まじかの1945年春。デトロイト郊外の小さな街で、プレストン・タッカー(ジェフ・ブリッジス)は子供の頃からの夢を追い求めていた。9歳の時に惚れ込んだ自動車業界に身を置き、最愛の妻ヴェラ(ジョアン・アレン)や長男のジュニア(クリスチャン・スレイター)をはじめとする4人の子供達と共に幸せな日々を過ごしていた。戦争も終わり、アメリカが新しい時代を迎えようとしている時、タッカーは自分の夢である新しい車を作る決心をする。友人である元銀行家のエイヴ(マーティン・ランドー)、技術者のエディ(フレデリック・フォレスト)やジミー(マコ)の協力を得て、遂にモデル・カー、“タッカー・トーペード"を作り上げた。速さだけではなく、安全性や高級感をも求めた夢の車、トーペードは、巧みな宣伝やその斬新なスタイルで、たちまち世間の注目を浴びる。だが、当時アメリカを牛耳っていた巨大な自動車産業のビッグ3や、ファーガソン上院議員(ロイド・ブリッジス)ら保守的な政・財界は、密かに暗躍してタッカーをあらゆる面から攻撃し、その事業を叩き潰そうとした。タッカーは罠に落ち、裁判にかけられ工場は閉鎖寸前となった。全ての疑惑を晴らし、無罪を勝ちとるためにタッカーたちは50台の新車を期日までに完成させなければならない。タッカーとその仲間たちの苦闘の日々が始まった。そして最終弁論の日、タッカーは陪審員席に向かって、自らの信じるアメリカの自由・正義・未来について語りかける。「巨大な力で個人の自由な発想を押し潰すことは、この国の未来をも閉ざすことになるのではないか」その熱意ある発言は、陪審員たちの心をも動かした。遂にタッカーは無罪の判決を得て、それを迎えるかのように裁判所の前に完成したばかりのタッカー・トーペードが並ぶ。だがこの日、タッカーの工場は連邦政府によって閉鎖されることになってしまった。それでもタッカーと仲間たちは意気揚々と新車に乗り込み、パレードよろしく帰途についた。彼の車はこの50台のほかに、作られることはなかった。

以上「goo 映画」のHPより。

初回から、かなりとんでもない車種を選んでしまいました。アメリカの不運の名車、タッカーです。その生い立ちは昔、ビッグコミックの「栄光なき天才たち」という漫画にもされたし、1987年にフランシス・フォード・コッポラ監督(氏もタッカーを2台(!!)所有している)により「タッカー」という映画にもされたので、知っている人もいるかもしれません。
戦後、アメリカの自動車業界ではビッグ3 (ゼネラル・モーターズ,フォード,クライスラー)に対抗すべく、数々の新興メーカーが参入を試みた。プレストン・タッカーが率いる「タッカー」もそのひとつだった。
終戦まであと少しという1945年春、アメリカのルーズベルト大統領は死の直前、対戦の行方はすでに定まった、として戦後過剰になるだろう巨大な軍需工場を、既存の大メーカーにではなく、小さな独立企業(現在のベンチャー企業)に貸し出すことを決めていた。彼は、アメリカンドリームの信奉者だった。どんな大企業も、最初は無名の人物によって始まった、彼はそう考えた。自由競争こそは、アメリカンドリームである。
このようなアメリカ政府の基本方針により、多くの中小企業にチャンスが巡ってきた。タッカーも、シカゴに巨大な工場を借りることができた。そこは、戦時中にダッジ(現在のクライスラー社の一部門)が戦時中にB29爆撃機のエンジンを作っていたところだ。
そこで作られた車は、これまでの車の常識をことごとく覆す画期的なものだった。「トーピード(torpedo-魚雷)」と呼ばれたモダンな流線型のボディーにはアメリカで初のリア・エンジンが搭載されていた。このエンジンには、当初は巨大な9650ccの水平対向6気筒で、吸排気弁の作動はプッシュロッドではなく、流体ポンプを用いた可変タイミング方式が予定されていた。しかし、それはあまりうまく作動しなかったため、エアクルード・モーター社のヘリコプター用水平対向6気筒エンジンを水冷式に改めた上で使用することにした。その他、これもアメリカ初の4輪独立懸架、さらに、安全性にも早くから配慮し、フロントの強化ガラスは衝撃を受けると前方に飛び出す仕組みになっていたり、前席は衝突時の安全を守るため、クラッシュ・コンパートメントに収められており、さらにダッシュボードには緩衝パッドが設けられていた。ちなみに、当初の案ではシートベルトを前席に採用する予定だったが、この車はベルトがいるほど危険なのか、と誤解を招くため、この案は見送ったという。また真ん中のヘッドランプはハンドルと連動して進行方向に首を振った。

第そして1948年、タッカーは満を持して人々の前に姿をあらわし、これまでにない反響を巻き起こした。タッカーにはいろいろと不具合もたくさんあったが、それでもなお人々からは、今までにない先進的な車だと言われた。
しかし、ビッグ3はタッカーの存在を快くは思わなかった。このあまりに革新的な車は、確実に自分たちに脅威を及ぼすようになる。そう思ったビッグ3は、露骨な政治的妨害をはじめた。タッカーを誉めるような記事を書いた記者には仕事がこなくなり、タッカーの悪口ばかりが横行し、会社設立の際に公正取引委員会に申し込んだローンも却下され、はては追い打ちをかけるようにデッチ上げとも思える詐欺罪で起訴されてしまった。その容疑とは「説明書と異なる内容の車を売りつけた」というもので、結局、49年にタッカーは無罪となったが会社は倒産。車はわずか51台しか作られず、タッカーの名前はメーカーとともに歴史の闇に葬りさられてしまった。もちろんそれらの事件にビッグ3が関与していたという証拠はなく、商売の経験のなかったタッカーが無理をしたせいで会社は倒産した、という見方をする人もいる。
しかし、どちらにしてもその事実は「実現しなかったアメリカンドリーム」として、今なお特別な思いとともに語り継がれている。その生産された51台は、今でも46台が現存しており、こんなところからもタッカーの性能の高さを知ることができる。

以上「タッカーズ'48」のHPより。

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